【重要なお知らせ】東山魁夷館は5月31日(水)から、長野県信濃美術館は10月1日(日)から改修・改築工事のため休館しております。 詳細はこちら

東山魁夷と信州

Higashiyama Kaii And Shinhu

「私の作品を育ててくれた故郷―長野県」

Influences from my homeland - Nagano

東山魁夷(八ヶ岳にて)

 東山魁夷(八ヶ岳にて)

 横浜に生まれ、神戸で少年時代を過ごした東山魁夷(1908-1999)は、1926年、東京美術学校1年生の夏休みに木曽の御嶽山へ登り、初めて信州の自然と人に出会って以来、長野県に取材した風景画を数多く制作しています。魁夷は、四季の変化が美しく、山や湖、川、渓谷と地形の変化に富んだ長野県を、「作品を育ててくれた故郷」と呼ぶほど愛していました。緑豊かな信州の風景は東山魁夷にとって、創作のインスピレーションを与える場所だったのです。

信州を取材した東山魁夷作品

Higashiyama Kaii Works created in Shinshu

≪沼≫

1993年 / 上水内郡信濃町 古池

≪沼≫

 ≪沼≫

 ずいぶん以前に信濃路の旅で見つけた小さな白い花。それがいつ迄も心のすみに残っていた。帰ってから植物図鑑で調べたら「ミツガシワ」とのこと。それ以来、静かな沼に知れず咲いていた可憐で楚々とした花が忘れられなかった。薄明の青い色の中で見た、その印象を描いてみた。

(東山魁夷自選画文集5『自然への讃歌』集英社1996年)

ミツガシワ

 ミツガシワ

戸隠公園 古池

 戸隠公園 古池

 ミツガシワは、5月中旬から6月上旬にかけて、湿原や池のほとりに咲く清楚な花で、三枚の小葉がカシの葉に似ているため、この名がついています。戸隠高原・古池の群生は圧巻で、ここではリュウキンカも同時期に開花します。戸隠高原のハイキングコース「種池・古池コース」は、長野市と信濃町の境にある大橋→種池→古池と巡り、所要約1時間。東山魁夷の心から離れなかった、可憐で楚々としたミツガシワを愛でに、花の季節に訪れてはいかがでしょうか。

≪雪野≫ (スケッチ)

1992年 / 小谷村

≪雪野≫ (スケッチ)

 ≪雪野≫ (スケッチ)

秋も過ぎ冬が来ると、
その辺りは一面の銀白色。
丈高い枯れ葉と可憐な野草が、
じっと春の到来を待っている。

『雪月花』「雪」1993年

※取材地の具体的な場所は特定されていません。
※取材地はドイツ北部と記されることもあります。

≪静映≫

1982年 / 飯山市・斑尾高原 希望湖

≪静映≫

 ≪静映≫

 昭和58年に開館された長野県県民文化会館の中ホールの緞帳の原画を県から依頼された私は、どんな題材が良いかと、いろいろ考えました。そこで何か信州にゆかりのある風景を描きたいと思いましたが、緞帳は高さに対してずいぶん横に長いプロポーションですので、まず構図の上での制限があります。それで私は、長野県の人々に親しみ深い風景の中でも清澄な山の湖がふさわしいのではないかと考えました。初夏の湖の朝早い静かな情景を描きたい、との構想のもとにスケッチを取り出して眺めているうちに、私はここぞと思う一枚の風景が目に浮んできました。

 色彩は青を主調にし、白樺などの新鮮な感じの緑と背後の杉の濃い緑を対照させて見たらと考えました。そしてそれらの木立が、そのままの姿で水に映っている構図にして緞帳の原画となったのです。

『信州讃歌』1995年

希望湖(のぞみこ)

 希望湖(のぞみこ)

 斑尾高原にある希望湖(のぞみこ / 「沼池」とも)は、まわりを白樺やブナの原生林に囲まれた静かで美しい湖です。遊歩道が整備され、バードウォッチングや森林浴をしながら、神秘的な湖を周遊することができます。大勢の人々が訪れて環境破壊につながることを危惧した東山魁夷は、取材地を「長野県北部」としていました。

≪森装う≫ (習作)

1972年 / 長野市・戸隠

≪森装う≫ (習作)

 ≪森装う≫ (習作)

秋の豊かさがある
冬を目の前にして

『画集 白い馬の見える風景』1973年

 紅葉真っ盛りの戸隠の風景です。取材地の具体的な場所は特定されていませんが、この作品に描かれた、赤やオレンジ、黄色に、見事に色づいた秋の木々は、戸隠のいろいろな場所で目にすることができます。最もポピュラーな紅葉スポットは、鏡池でしょう。戸隠連峰の山並が水面に映える、戸隠屈指の撮影ポイントです。ちなみに、戸隠の小鳥ヶ池は《緑映》の取材地。訪れる人が少なく、ひっそりとした池は、その名のとおり、野鳥のさえずりを楽しめます。

≪光昏≫(小下図)

1955年 信濃町・野尻湖ホテルより黒姫山を望む

≪光昏≫(小下図)

 ≪光昏≫(小下図)

金色の空、逆光の暗紫色の山、
夕影の中にある紅葉の樹々。
黒々とした湖面。
光と昏(くら)さ、
華麗さと重厚さ。

(東山魁夷全集1『風景巡礼I』講談社1979年)

≪光昏≫スケッチA 1954年

 ≪光昏≫スケッチA 1954年

 野尻湖ホテルから望む黒姫山に、箱根姥子で写生した紅葉を取り入れて構成した作品です。「絵葉書式の風景」だったスケッチを眺めながら、空を金色に、山を暗紫色に、湖を黒に、配色を変えることを思いつき、大作が誕生しました。「外観は洋風のかなり大きな建物で、どっしりとした茅葺屋根が印象的」だったという同ホテルで、魁夷はいろいろな部屋からスケッチし、秋だけでなく、春も訪れて写生をしました。残念ながら、野尻湖ホテルの建物は取り壊されて現在はありませんが、魁夷に「いくら眺めていても飽きない」と言わしめた野尻湖の美しい景色を堪能したいものです。本作には、出品直前、モーツァルト「交響曲第41番ジュピター」を聞くうちに気持ちが高揚して、強弱を付けて仕上げられたというエピソードもあります。

≪静晨≫

1994年 / 長野市郊外・七曲北ナガノシティヘリポート入口

≪静晨≫

 ≪静晨≫

 それは平成二年の春浅い二月、城山公園の一角にある東山魁夷館の起工式の日でした。(中略)式も滞りなく終ったので、亡夫の東山と私は近くの山の方へ冬景色を見るため車を走らせました。しばらく林檎畑を過ぎて山道へ入ると、もう一面に粉砂糖をまぶしたような白一色の世界になってきたのです。ところどころ黒い杉林が程良いアクセントを見せているのが目に入り、荒安の里の立札のところで車を止めました。すぐ窓を開けると東山は有り合わせの白紙を広げて鉛筆で走り描きをはじめましたが、この辺りは人も通らず何の音もしない静寂の気が満ちていて、全身が冷気に吸いこまれそうな、ひとときでした。

東山すみ「開館十五周年を迎え想い出すままに」2005年

七曲の北にある長野ヘリポート入口

 七曲の北にある長野ヘリポート入口

 七曲の北にある長野ヘリポート入口、「芋井地区案内図」から谷向こうを望んだ風景です。普通なら通り過ぎてしまう、何の変哲もないような風景が、東山魁夷の目には、白と黒が「程良いアクセント」と映り、手前の雑木等は整理され、なだらかな丘の斜面はデフォルメされて、一枚の絵画となっています。作品と実景を比較することで、東山魁夷の制作の過程を想像することができます。

≪山谿秋色≫

1932年 / 長野―群馬県・志賀高原

≪山谿秋色≫

 ≪山谿秋色≫

 志賀高原の晩秋を描いたものですが、取材地の具体的な場所は特定されていません。草津へ行く途中、群馬から横手山を見たところではないか、という説もあります。

≪夕星≫ (絶筆)

1999年 / 長野市・善光寺大本願花岡平霊園から霊山寺を望む

≪夕星≫ (絶筆)

 ≪夕星≫ (絶筆)

 これは何処の風景と云うものではない。そして誰も知らない場所で、実は私も行ったことが無い。つまり私が夢の中で見た風景である。

私は今迄ずいぶん多くの国々を旅し、写生をしてきた。しかし、或る晩に見た夢の中の、この風景がなぜか忘れられない。たぶん、もう旅に出ることは無理な我が身には、ここが最後の憩いの場になるのではとの感を胸に秘めながら筆を進めている。

(東山魁夷未発表原稿)

善光寺大本願花岡平霊園(写真は2005年3月8日に撮影されたもの)

 善光寺大本願花岡平霊園(写真は2005年3月8日に撮影されたもの)

 元々、パリ郊外にある、石棺の横たわる小島が池に浮かぶ小さな公園の風情が忘れられず、少しずつ描き進め、一旦はサインと印章を捺しましたが、「魁夷」の文字と判を塗りつぶして、再び絵筆をとり、絶筆となった作品です。本人は「夢で見た風景」と記していますが、画面の上半分は、善光寺大本願花岡平霊園に生前買い求めた自身の墓所から霊山寺を望む風景によく似ています。

 「はじめはパリの風景でしたのに、少しずつ構図に変化も見られ、パリの空の下の情景がいつの間にか日本の、それも信州への想いが深くなり、花岡平に設けた永住の地へと心が移って行ったのかもしれません。」と東山すみ夫人は回想しています。

≪塩名田の家≫≪小諸の家≫≪長野の家≫(いずれもスケッチ)

1940年-1945年

小諸の家(スケッチ)1940-45年

 小諸の家(スケッチ)1940-45年

塩名田の家(スケッチ)1940-45年

 塩名田の家(スケッチ)1940-45年

長野の家(スケッチ)1940-45年

 長野の家(スケッチ)1940-45年

夏の日(スケッチ)1940-45年

 夏の日(スケッチ)1940-45年

街道の家(スケッチ)1940-45年

 街道の家(スケッチ)1940-45年

※取材地の具体的な場所は特定されていません。

≪夕静寂≫

1974年 / 長野-岐阜県・奥穂高

≪森装う≫

 ≪夕静寂≫

深沈とした青一色に暮れて、
山々は高く聳え、
谷深く一筋の滝が白く光る。
鳥の声も聞こえない。
遠くの滝の響きが、
夕べの静寂をいっそう深める。

『四季めぐりあい 秋』1995年

スケッチ

 スケッチ

小下図

 小下図

(唐招提寺)障壁画の準備の旅で、奥穂高の谷へ行った時に得た構図である。この場所には実際には滝は無かったのだが、青一色の暮色の底に、白く光る一条の滝を描いた。静寂な谷の遠くに、かすかな滝の音を響かせたいと思ったからである。

※取材地の具体的な場所は特定されていません。

≪緑響く≫

1982年 / 蓼科高原・御射鹿池

≪緑響く≫

 ≪緑響く≫

 一頭の白い馬が緑の樹々に覆われた山裾の池畔に現れ、画面を右から左へと歩いて消え去った―そんな空想が私の心のなかに浮かびました。私はその時、なんとなくモーツアルトのピアノ協奏曲*の第二楽章の旋律が響いているのを感じました。

 おだやかで、ひかえ目がちな主題がまず、ピアノの独奏で奏でられ、深い底から立ち昇る嘆きとも祈りとも感じられるオーケストラの調べが慰めるかのようにそれに答えます。白い馬はピアノの旋律で、木々の繁る背景はオーケストラです。

『東山魁夷館所蔵作品集』1991年

御射鹿池(みしゃかいけ)

 御射鹿池(みしゃかいけ)

 液晶テレビのCMでも話題になった御射鹿池(みしゃかいけ)は、諏訪ICから奥蓼科温泉郷に通じる「湯みち街道」沿いにある小さな農業用ため池です。"諏訪大社の鹿狩り場"が名称の由来といわれています。制作当時より木々は成長していますが、水面に木々が映りこむ景色は、作品の雰囲気そのままです。※文中の曲は、モーツァルトのピアノ協奏曲第23番イ長調K.488です。

≪山霊≫

1987年 / 長野-岐阜県・安房峠

≪山霊≫

 ≪山霊≫

 以前、中国の黄山に登った時、峡谷を覆っていた濃い霧がだんだん晴れて、谷間の奥に一筋の滝が現れてきました。私はその時、深い山の霊気に感動しました。

 この時の印象を基に、深々と樹木の繁った日本の峡谷の趣として描いてみたいと思いました。それで信州の安房峠などのスケッチを参考にして構図を考えました。色彩を渋い群緑調一色に押さえて、大自然の神秘感を表したいと思ったのです。最近ではかなり奥深い山の中まで、将来のことを考えない樹々の伐採が激しくなり、山の霊気に触れるような風景が少なくなりつつあるのは残念なことです。

『東山魁夷館所蔵作品集』1991年

※取材地の具体的な場所は特定されていません。

≪霧氷の譜≫

1985年 / 松本市・乗鞍山頂

≪霧氷の譜≫

 ≪霧氷の譜≫

 雪が降ってくると、高原の林は清浄な幻想の世界となります。霧氷の美しさは格別ですね。透明な氷となって細い枝に堅く凍りついた場合、風が吹くと互いに触れ合って澄んだ響きを立てることがあります。ずっと以前、信州側から雪の乗鞍山頂を越えて、飛騨側へ降りたことがありました。よく晴れた朝、鈴蘭小屋を発って登って行きますと、冷泉小屋を過ぎる頃から、あたりは一面の銀世界になっていました。

 霧氷のかすかな響きを聞いたのは、その時のことであります。戦時中でしたから、真白なスロープにはスキーをする人々の姿は見えませんでした。青く澄み切った大空を背景に、乗鞍山頂は神の座のように厳粛な光景でした。

『東山魁夷館所蔵作品集』1991年

※取材地はドイツ北部と記されることもあります。

≪夕明り≫ (習作)

1985年 / 松本市・乗鞍山頂

≪夕明り≫ (習作)

 ≪夕明り≫ (習作)

祈りの時が来た
静かに鳴らせ つりがね草

『画集 白い馬の見える風景』1973年

八島ヶ原湿原

 八島ヶ原湿原

八ヶ岳中信高原国定公園霧ケ峰高原に位置する八島高原の中心には、「八島ヶ原湿原」があり、国の天然記念物に指定されています。

 木道が整備された「湿原一周コース」は、八島ヶ池、鎌ヶ池などを巡り、約90分。春は新緑と野鳥、夏は可憐な花々、秋は草紅葉と、自然を満喫できます。作品と変わらぬ景色が、今も守られています。

≪たにま≫ (小下図)

1953年 / 上林・野沢温泉

≪たにま≫ (小下図)

 ≪たにま≫ (小下図)

深々と雪にとざされた谷間に、
ひとすじの小川が流れ出る。
冬の沈黙が、
かすかな、せせらぎの音によって破られる。
ひそやかではあるが、
回生の喜びが、
日一日と雪の谷間にひろがってゆく。

『四季めぐりあい 春』1995年

≪スケッチA 1940-41年≫

 ≪スケッチA 1940-41年≫

≪スケッチB 1950年≫

 ≪スケッチB 1950年≫

≪スケッチD 1950年≫

 ≪スケッチD 1950年≫

≪取材地写真≫

 ≪取材地写真≫

上林温泉の旅館「湯宿せきや」には、スケッチBと同じ構図の絵が遺されています。この宿は、師である結城素明ら多くの画家が逗留した所で、魁夷も1950年2月中旬頃に訪れ、宿の主人の案内で、角間川の上流へ雪中の渓間を歩き、やっと気に入った場所を見つけてスケッチをしたといいます。